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新聞掲載記事

更新:2004/09/21

特許制度の日本における成立

 経済が低迷していた1980年代前半のアメリカでは、産業政策としてプロパテントへの転換を行い、自国の技術を国内外で厚く保護することによって技術力を回復させ、経済の活性化に成功している。それから遅れること20年、わが国でも政府が知的財産戦略会議を発足させてプロパテントの時代へと向かおうとしている。そこで今回は、こうした経済の活性化にも影響を与える特許制度の日本における成立を取り上げてみた。
 特許制度とは、発明をした者に一定の期間その発明を独占的に実施することができる権利を付与する制度であるが、こうした制度を世界で最初に導入したのは1474年にイタリアのヴェネチア共和国で公布された「発明者条例」であるといわれている。

 日本で特許制度が知られるようになったのは、200年続いた鎖国時代が終わり、遣欧使節団の一員として欧州に渡った福沢諭吉が「西洋事情」(1866年)のなかで、欧米の技術進歩の背景にある特許制度の重要性を紹介しこことによる。これをきっかけに明治4年「専売略規則」が政府によって布告されたものの、当時は国民に特許制度が十分に理解されず、また発明を審査する人材の不足など運用上の問題もあって一年で廃止となってしまった。
 そうしたなか明治10年に開かれた第一回内国勧業博覧会では、臥雲辰致が発明した紡績機械が最優秀賞をとったものの、発明者である臥雲の生活は借金を抱え困窮を極めたものであった。ロイヤリティが得られないまま同業者に大量の模倣品を製造・販売されてしまったからである。明治維新後の当時は発明の模倣や老舗の名を使って粗悪品を売るなど、それまでの秩序が崩れ市場が混乱していた時でもあった。
 こうした状況を憂いた、当時、農商務大書記官兼大蔵大書記官の前田正名は、特許制度を再び整備して模倣品や粗悪品を取り締まる必要があると考え「興業意見」を作成するなど、健全な産業の育成のための提案を行った。この前田と後に初代専売特許所所長、総理大臣となる高橋是清との出会いが特許制度成立へとつながる大きなきっかけであった。発明保護の重要性を感じた高橋是清は、大英百科事典の概略をたよりに研究を進めるなど特許制度の制定に尽力した。そして、明治18(1885)年、その高橋是清が起草した「専売特許条例(特許法)」が布告され日本でも本格的な特許制度がスタートした。

 

弁理士 廣田 昭博